ジュディマリやいきものがかりのヒットを背にソニーミュージックの中で音楽業界を飛び出した男の新たなる挑戦

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音楽業界をけん引し、大物アーティストを多数輩出しながらも、現在はさまざまな事業に取り組んでいるソニーミュージックグループ。ソニー・ミュージックコミュニケーションズS&Sカンパニーで代表を務める男(通称タマさん)も、元はソニーミュージックグループのレーベルでヒットを量産した音楽人だった。彼が現在新たに挑戦していることは何なのか、過去をひも解きつつ、その決意を聞いた。

2000年を境に、環境が大きく変わっていった音楽業界。有名アーティストであればミリオンヒットは当たり前とされていた時代が終わり、CDセールスは低迷状態が続いている。2015年には音楽配信のサブスクリプションサービスも本格化し、リスナーと音楽の関わり方は、日に日に変化してきている。 日本を代表するバンドだったJUDY AND MARY(ジュディアンドマリー、通称:ジュディマリ)が解散ライブを実施したのは、2001年のことだ。当時、JUDY AND MARYが所属していたレコード会社Epic Records(エピックレコード)で彼らの解散を見届けたタマさんは、そのライブの模様を以下のように語る。 「東京ドームでの最終公演は、完璧だった。奇跡的なライブだったんです」 ひとつの時代の終わりを感じさせる出来事だった同バンドの解散は、その後も長く音楽ファンに語られる出来事となった。 あれから15年。現在、ソニー・ミュージックコミュニケーションズS&Sカンパニーで代表を務めるタマさんは、当時の音楽業界を振り返りつつ、今後の新たな挑戦について語った。

新人発掘部門で出会った平井堅という才能

「入社当時、日本経済はバブル景気の真っただ中。本当に人手が足りなかったから、入社3日目にして仙台に行って、70バンド以上参加するコンテストの審査員長をやってたんです。いま思うと、無茶苦茶だったことも多くて」 1988年、CBSソニーグループ(現・ソニーミュージックグループ)に中途入社したタマさんは、新人発掘部門でライブハウスやオーディション会場を回る日々を過ごす。 当時はユニコーンやJUN SKY WALKER(S)、X(現・X JAPAN)、THE BOOMなど、バンドブームに火が付き始めたころだった。 「上司もみんな、365日走り続けていました。『休みをとりたい』って言ったら、『時間あたりで休め』って言われたんです。もうみんな、仕事を仕事と思っていないようだった。それだけ数字が伸びていた時代だったから」 東北エリアの新人発掘を仙台で2年やったのち、東京に戻ってきて、あるオーディションの審査員になった。7~8,000本のデモテープを10数人のスタッフ全員で聴いて、誰かスタッフが1人でも気になったものは一次審査を突破。 当時の音楽シーンはノイズミュージックやローファイなものに偏っているなか、イーグルスの『デスペラード』をカヴァーした歌声が、タマさんの琴線に触れた。それが平井堅とタマさんの出会いのきっかけだ。 「当時のソウルシンガーは久保田利伸の独壇場。彼を上回る人はいなかった。ソウルを歌える人がいたらおもしろいのにと思っていたところに、彼(平井)の歌声が飛び込んできた」 初めて会ったのは、都内のライブハウス。シーンに左右されない平井堅の歌声は、才能にあふれていたという。「僕が彼をトップアーティストにしたわけではないけれど、あのデモテープと出会っていなかったらと思うと、新人発掘部門での自分の実績のひとつと言えるかな」

JUDY AND MARYのブレイクによって経験した「新たな感覚」

1993年にエピックソニー(現・エピックレコード)に異動。2年ほど宣伝部に勤務したのち、A&R(アーティスト・アンド・レパートリー。アーティストの発掘や契約・育成だけでなく、CDリリースの企画・制作・宣伝に広く携わるポジション)になる。 「当時のエピック(エピックレコード)は、ミリオンヒットを出すアーティストばかりでなく、流行に流されずとがったアーティストも所属していて、そこがかっこよかった。上司も会社に迎合せずに、『自分たちでヒットを作ってるんだぜ』という意識がありました。だからエピックは、レコード会社なのにアーティストに近い立場でいられた。当時では珍しい会社だったと思います」 その後は鈴木雅之やJUDY AND MARY、シアターブルック、トライセラトップス、バブルガム・ブラザーズ、鈴木祥子などを担当。メジャーアーティストに携わるなかで、「勝ち馬」に乗ることで得られる経験に気付く。 「僕らはアーティストではないから自分たちだけでは何かを生み出すことはできないし、優れた才能と一緒にいることで学ぶことがとても多いんです。アーティストブランディングとか当時はわからなかったんですが、アーティスト自身に教えてもらったり、一緒に考えたりして、どんどんスキルが身に付いていった。名が売れているだけで切れる手札の数が一気に増えますし、階段を登っていく感じで、業界全体や世の中の動きが俯瞰して見えるようになっていったんです」 勢いのある人に関わることで、その求心力からより大きな上昇気流が生まれたと言う。 「全ての仕事に当てはまるわけではないし、他力本願に聞こえるかもしれませんが、急成長していく人やモノに関わっているかどうかで、得られるものは全く違う。そこで身に付いた経験値や人脈はその後も活きますし、ステージが一個上がるんです」

名曲のミュージックビデオに隠された裏話

当時のミュージックビデオの制作費用は、現在では比べものにならない額だった。タマさんはJUDY AND MARYの代表曲『クラシック』を例に挙げる。 「この曲のミュージックビデオは、インドで撮影されました。日本で撮るよりも安く済むんじゃないかという話になって、スタッフ50人くらい連れて、器材も全部飛行機に積んで持っていったんです。 あっちは映画産業が日本よりはるかに盛り上がっていたし、製作費も安い。雰囲気も『あの怪しさがいいぞ』と言って向かったのですが、これが本当に大変で。途中でヒューズが飛んで会場が真っ暗になって、隣町までスペアを取りに行かなければならないし、撮影用に使うサルは逃げるし(笑)。 2週間は向こうにいたのですが、その間ムンバイのリゾートホテルを借りっぱなし。今考えるとありえない予算が動いていたんです。しかも結局、インドの外観も撮れないし、『これ、日本でもできたんじゃないか?』っていう話にもなって……(笑)」 2000年から徐々にCDセールスは落ち込んでいったが、社内に暗いムードはなかったと言う。 「『業界自体が縮小したって、リスナーに愛されるヒットを自分たちが作り出していればいいよね!』という気持ちがあったから、塞ぎこんだ雰囲気は全然なかった。アンジェラ・アキや元ちとせ、いきものがかりなど、新たにメジャーになっていったアーティストもいたので」 ソニーミュージックグループ内にあふれるポジティブシンキングが、現在の職場でもタマさんの原動力になっているようだ。

異動によるギャップと、そこから見えた挑戦すべきこと

2014年、タマさんは音楽業界から畑を変え、ソニー製品の販売促進支援を中心に行うS&Sカンパニーを担当することになる。 「サービスの対象が、人からモノになったんです。これはもう転職みたいなもので、収益の仕組みはわかるんだけど、それをどう膨らませるかがわからない。最初は戸惑いの連続でした」 S&Sカンパニーの仕事は、ソニーマーケティングやソニー・コンピュータエンタテインメント、ソニーモバイルコミュニケーションズのほか、一般企業の販促支援活動。カタログを作ることもあればウェブプロモーション、イベント、POP作りや店舗施工も行う。 「音楽業界ではアーティストと向き合ってくれるユーザーがいたんですけど、製品の世界ではターゲットもファンの質も違う。ただそれが新鮮で、世界の広さも感じられました。クライアントのニーズと社内が持つソリューションをつなぐ仕事っていうのは、やりがいも大きい」 当時の経験が生きることも多い。 「『勝ち馬』の話じゃないですけど、ソニーミュージックっていう名前を出すことで、会ってくれる人は意外と多いんです。社名のパワーに助けられている現状ですが、だったらそれをフル活用してやろうとも考えていて。 これまで『権利を持っているアーティストやキャラクターをどう売ろう?』という考え方をしていたんですけど、今は『こんなことができたらおもしろいな』という想いを実現できるようになったし、それによってこれまでにない規模感で仕事ができるようになった。このことはとてもポジティブにとらえています」 音楽業界の低迷を受け、新たな挑戦を続けるソニーミュージックグループ。その一端を担うタマさんの推進力は、これまでの経験で培ったポジティブシンキングと、『勝ち馬』に関わることで得られた知見やバイタリティで成り立っている。

「人に感動を与えたい」。タマさんが学生に望むこと

最後に、今年就職活動を行うすべての人に、タマさんからメッセージをもらった。 「人には何かしらの夢があると思うんですけど、それを実現させるために動かないと人生はおもしろくならない。夢って漠然としてるんですけど、それと仕事をどのようにリンクさせるかが、仕事のやりがいにもつながってくると思うんです。 ただ一方で、やりたいことがあっても、入社して最初の配属がまったく希望と違うところから始まることもある。その場合、投げ出したくなることもあると思うんですけど、与えられた環境で目の前の仕事を一生懸命やっていると、人との信用、信頼を勝ち得て、自分が想定していなかったステージまでジャンプできることがあるんです。あのころがんばっていたことが、いまになって活かされてるんだな、と実感することが多いと思います。 やりたいことをできないからといってシャットアウトしちゃうとそこで終わってしまうので、夢を諦めず、目の前のことをひとつひとつクリアしてほしいと思います。 あとは、僕はとにかく『人に感動を与えたい』って想いがある。音楽業界を離れてもその考えはベースにあるので、ソニーミュージックに入りたい人は『人を感動させたい』っていう想いだけは忘れずに持っていてほしいなと思います」 ソニー・ミュージックコミュニケーションズは、音楽をはじめとする各種ソフトビジネスで培ったノウハウと、エンタテインメント性溢れる社員の発想力があるからこそ質の高いクライアントサービスを展開できているのだろうと実感した。 これから就職活動を始める学生の皆さんが、実りある日々を過ごせることを祈ると同時に、『人に感動を与えたい』という想いを持つ学生が、ソニーミュージックグループでその夢を実現できれば幸いである。 (文・カツセマサヒコ)

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