「マネージャー」と聞いてあなたがイメージするのは、「組織の管理職」でしょうか。それとも「芸能人のマネージャー」でしょうか。どちらをイメージしても、実は両方ともやっている仕事は「誰かのマネジメント(管理)」にほかなりません。一見地味な仕事にも見えますが、そこには大きなやりがいも。 今回はソニーミュージックの中で、アーティストやタレント、俳優のマネージャーを擁している会社、ソニー・ミュージックアーティスツにお邪魔し、アーティスト「チャラン・ポ・ランタン」のマネージャーを務める「ねこ太さん」にマネージャー業の厳しさと楽しさをうかがいます。
会社員になる気がなかった学生時代
――マネージャーはかなり特殊な職業だと思うのですが、学生時代にはどのような経験をされていたのですか?
ねこ太さん「学生時代は京都にいたのですが、当時はレコード会社で働くことは全く考えていなかったんです。素人ながらDJイベントやライブイベント、アーティストのマネージャーから、自主制作音源の流通までやっていて、どこかに所属しなくてもそれで食べていけると思ったから、そのまま京都でやろうと思っていました。 でも担当してたアーティストが東京の事務所から声をかけられ、僕と一緒にその会社に入りたいと言われたんですが、僕はその会社にあまり入りたくなくて別れたんです。当時の僕は1浪、2留で、もう年齢的にも新卒のカードはギリギリ。どうしようかぼんやり悩んでいたところ、知人から東京のソニーミュージックの秋採用があることを伝えられました。 当時はソニーミュージックにどんなアーティストがいるのかもほとんどわからない状況。軽い気持ちで入社したんです」
――今の学生から見たら「やばい、特別な経験すぎて参考にならない」って思わせてしまいそうなエピソードが、いきなり出ましたね(笑)
ねこ太さん「参考になるところ、あるのかなあ……(笑)。できるだけタメになる話をしたいとは思うんですけど、僕、東京が怖くって、上京したときもビビって神奈川に住んでいたんですよ。しばらくは担当しているアーティストのライブくらいしか都内に行かないようにしていたし、そういう田舎な人間ですからねえ……」
――マネージャーってたくさんの人と話すイメージじゃないですか。ねこ太さんは内気な性格にも思えるのですが、いつから音楽業界でマネージャーをやろうと思ったのですか?
ねこ太さん「中学の時、学習塾の放課後に教室でロックを聴いていたら、塾の先生が教室に入ってきて、『ロックのルーツはブルースだぞ』って言ってブルースのライブに連れて行ってくれたんですよ。それがきっかけでどんどんハマっていくんですけど、その人、いまは塾講師を辞めて音楽業界にいて、この前一緒に仕事もすることができたんです」
――業界に入るきっかけもロックミュージシャンみたいじゃないですか。
ねこ太さん「あれはさすがに驚きましたねえ(笑)」
逆境に継ぐ逆境

――入社してからすぐにアーティストのマネージャーに就いたのでしょうか?
ねこ太さん「いえ、入社したてのころはマネージャー職ではなくてレーベルでA&Rをしていました。複数のアーティストを担当していたのですが、忘れもしません。その中の担当アーティストの歌詞カードに数十カ所のミスが発覚したんですよ」
―― それってもう真っ青になりませんか?
ねこ太さん「本当にそのときは、もう、終わったなあって思ってました。でも先輩たちはみんな『まあ気にするなよ』『何とかなるだろ』って声をかけてくださって。皆さんどれだけ修羅場超えてきたんだろうって思いましたね。 当時の僕は、もう傷ついた小鳥みたくなってて(笑)、そこから同じレーベルの宣伝部に異動になったんです。そしたらこの宣伝部の先輩たちが、すごい教育熱心で。 今の若い子たちは『ゆとり世代』とかいろいろ言われてますけど、僕なんか、その当時もっとゆとりだった自信あります。上からの指示に対していつも言い訳してました。でも『あいつ、このままじゃダメだ』って先輩たちが僕抜きで僕の教育のための会議を深夜にやってたらしくて。普通に考えたら、ほっておくほうが絶対に楽なのに、そこまで手間をかけて下さることがもうすごいなと思って、そこから頑張らなきゃなあって思わされました」

――情熱的な先輩が多かったんですね。
ねこ太さん「そうですね。日々叱られていくなかで、いくぶんマシな人間になれた気がします。そこから名古屋営業所に転勤して、中部地区の宣伝まわりをひとりで任されて、自分でいろいろ動けるようになりました。 上司・先輩がいないのは気楽だったけど、自由にできるぶん、常に『誰とどうやって組むか』という勘は鍛えられました。ほかの人が思いつくような宣伝はやりたくないなと思って、自分なりのオリジナリティを模索していましたね」
――ねこ太さんの発想力が磨かれたのは、その時期だったんですね。
ねこ太さん「そこからしばらく中部地区にいたのですが、異動になって東京でまたA&Rになりました。でも戻ってきて最初の頃は苦労して・・・。 昔から、最初は周りから嫌われるんですよ……(笑)。たぶん図々しかったり、仕事できなかったりしたからなんでしょうけど。でも今は、その人たちから僕を仕事に誘ってくれるんです。 僕、しつこいんですよね。『一緒に仕事したいな!』って思う人がいたら、その人から直接キライだって言われても、ぜったいに諦めない。『ここだけはつながってたい!』って人に対するしつこさはかなりあるんだと思います」
――「しつこさ」って、実はマネージャーだけでなく社会人として求められるスキルなのかもしれないですね。泥臭さみたいのって、どの仕事でも求められますし。
大型新人の発掘、マネージャーに

――チャラン・ポ・ランタンとの出会いのきっかけは何だったのでしょうか?
ねこ太さん「まだレーベルでA&Rをしていたころ、『CD出さない?』って声掛けはいくつかの若手アーティストにしていたんです。でもみんな、もう自分でCD作れちゃうから『条件が合わないんで…』って断られるケースも多くて。 そんなときにチャラン・ポ・ランタンを見つけて、ああ、この子たちは『CDを売る』って関わりだけじゃない、もっといろんなことができるから、そばで見守りたいって思ったんです。そこでソニー・ミュージックアーティスツへの異動希望を出すことにしました」
――やっとマネージャーへの返り咲きを果たすんですね。
ねこ太さん「学生時代にやってたことは今考えれば遊びみたいなものでしたけどね。でも1年間くらい異動希望はかなわなかったんですよ。それでもどうしてもチャラン・ポ・ランタンの仕事をしたくて。実はその間、A&Rの仕事に支障のない程度にマネージャーみたいなこともやってたんです」
――そんなに気になるアーティストだったんですね。

――マネージャーとそれまでの仕事のギャップはどういったところで感じましたか?
ねこ太さん「お金との向きあい方が違いました。これまではエクセルの計算表上でCDが何枚売れて、販促費にいくらで、というプラスマイナスを見ていたんです。でもマネージャーになったらライブのチケット売上、出演者のギャラ、グッズの売り上げなどを毎日現金管理することになり、その金額の違いや細かさに慣れない日々が続きました。諸経費とか、スタジオ代とか、衣装とかガソリン代とか、全て自分で管理するようになって、『ワンマンライブの弁当800円……今日の公演、ソールドアウトしたけどまだこのアーティストには早いかなあ』って、そんなリアルな数字に直面するんです。 全てにお金がかかるから最初はやりにくさもあったし、管理ができなさすぎて上司からこっぴどく叱られたこともあるんですけど、限られた予算でどれだけクリエイティビティが出せるかっていうのは、マネージャーの醍醐味。 『ライブの演出で銀テープ出すくらいだったら、パーティーグッズのでっかいクラッカー5本くらい鳴らしたほうが今のアーティストの規模ならおもしろい』とか、『ハデな照明が出せないなら、裸電球一個とかでやったら逆におもしろいじゃん』とか『スタッフが足りない時は、ステージ上に大きな箱を置いてそこからアーティスト自らが演出の小物を出したり片づけたりすれば全て解決!』とか、同じくらいの予算感のアーティストたちが逆にやらないような演出をバシバシやりました。すべて逆手に取っていくのが楽しいんです」
――ツイッターをプロモーションに活用しているとうかがったことがあります。
ねこ太さん「いま、チャラン・ポ・ランタンのマネージャーアカウントは1万5,000フォロワーくらいいるんです。数としては大したこと無いんですが、ツイッターではさまざまな試みをしていて、たとえば『崎陽軒』のシウマイ弁当のCMソングを彼女たちが勝手に作った動画をアップしたり、ヴォーカルのももの変顔を、フォロワー500万人超えの芸人さんに送ってリツイートされたり。こういう実験をどんどんやると、予想外のタイアップが決まったり、意外な人とコラボレーションすることができたりする。今テレビ教育番組のコーナーやCMソング、ビッグアーティストへの楽曲提供もやっているのですが、それもツイッターの反応が良くて決まったようなところがあります」
――すごいアクティブなアカウントですよね。
ねこ太さん「『チャラン・ポ・ランタンと合いそう』って思ったら、自分からどんどん絡みにいくんです。そしたら本当につながって、ビジネスになったりするんですよ。“だめでもともと”って姿勢は大事に思っています。」
――アーティストとの関係性はどうなんですか?
ねこ太さん「それがまた、嫌われてたんですよ、僕……(笑)。出会って3年たったぐらいのとき、インタビューで『苦手な人いるんですか?』ってチャラン・ポ・ランタンのヴォーカルのももが聞かれてて、そしたら僕のこと言うんですよ、しかも冗談とかじゃなくて「出会った頃は本当に一緒に仕事したくなかった」とか「人間的に無理だった」とか。もうある意味スゴいなって思いました。」
挽回できるチャンスがあるのがマネージャー業

――失敗したときなどはどうやって挽回していたのですか?
ねこ太さん「お金の管理できてなくて怒られたことが大きなエピソードなんですが、でもマネージャーは、挽回のチャンスが多いですよ、良くも悪くも。たとえば会場をお客さんで埋められなかったとしても、グッズを多く売ったりとか、CMタイアップを獲ったりとかファンクラブイベントで何かやるとか、色んな角度から取り返せることが多いんです。 『リカバーできるから雑でいいや』っていうわけにはいかないですが、失敗したときに『じゃあどこで挽回する!?』という発想ができるのはよいことだと思います」
――ポジティブなマインドは先輩方から学ぶのでしょうか?
ねこ太さん「そうですね! 僕は30歳すぎてからマネージャーになったのですが、これってすごく遅いんですよ。過去にPUFFYなどを担当していた上司は18歳からずっとマネージャーをやっていて。僕はまだまだ経験不足なので、ひとつでも多く場数を踏みたいと思っています。」
――今は好きなアーティストのマネージャーに付いていますが、いつか異動の可能性はないのでしょうか?
ねこ太さん「会社員だしあると思います。メンバーからNG出されるかもしれないし笑。だから『来月からいなくなるかもしれないぞ』っていうのは彼女たちにもよく言ってるんです。一方、ずーっと同じマネージャーが就いているアーティストもいるので、どうなるかはわからないんですけどね。 でもぼくは発想がサブカル寄りだし、アイデアの範囲もせまい気がする。チャラン・ポ・ランタンはいろんな人の刺激を受けた方がいいアーティストだと思うので、彼女たちが成長するなら僕が外れてもいいかなとは思う事はたまにあります。」
ちょっとアホなぐらいがちょうどいい

――学生に向けてなのですが、どんな人がアーティストのマネージャーに向いていると思いますか?
ねこ太さん「お金を大事に思っている人……(笑)。あとは、自分が好きじゃないもの、興味のないアーティストを担当することも当然あるので、何にでも興味を持てる人がいいですね。『音楽が趣味だから来ました!』って志望動機の人が多いかもしれませんけど、それってこの業界に憧れがあって、ありもしない理想を見てしまっている人が多いと思うんです。好きなアーティストを近いところで見られる幸せはもちろんあると思うんですけど、泥臭い現実も多いです。 ちょっとアホなぐらいがいいと思うんですよ。僕なんて、『寝たら次の日どうにかなってんだろ』ぐらいポジティブな考えをするタイプなので。深刻に感じちゃう人はつらいかも知れないですね。ネジを一本外してから来て下さい笑。 あと、いろんな人とコミュニケーションをとるし、ギャラ交渉とかスケジュール調整もしなきゃだし、喋るのが嫌いだときびしいかもしれません。僕は中学くらいまで全然人と喋れなくって、大学時代にクラブイベントをやったとき、赤字を回避するためにチケットを手売りして回って、そこでようやく苦手を克服できたことが大きいんです。 『何かを売り込む』っていう経験は、社会人になっても活きると思います。自分が好きなものだったらきっと気持ちが入るはずだし、そうでないものには、自分なりのマジックをかけられるといいですよね。周りを見ていると、水道水だって売ることができそうなマネージャーいますもん。そんな人を目指して、僕も日々、精進したいと思っています」
特殊な経験をした学生時代を経て、多くの先輩たちに揉まれながら成長してきたねこ太さん。フェスなどで大活躍するアーティストのマネージャーとして活躍できたのは、「しつこい」までの情熱とポジティブな考え方があったからに違いありません。 いろんな企画をするのが好きという方、ソニーミュージックグループで叶えたい夢があるという方、ぜひエントリーしてみてはいかがでしょうか。そこには想像を超える喜びが待っているかもしれません。 (文・カツセマサヒコ)